2012年7月7日土曜日

気晴らしの散歩


薬を飲んで、安静にすること。
それが今できる唯一の方法。

そういうわけで、今日は朝起きてから、ずっと家にこもっていました。
午後になって、かおるんるんの幼稚園の恒例行事「踊りの夕べ」に
妻も長男ひびきちも出かけてしまったので、家には私一人です。

気分転換に津久野かいわいの散歩にでかけることにしました。
津久野駅の近くを流れている川(石津川?)の、
草ぼうぼうの堤防が目的地の一つです。

上の写真は堤防で見つけたコンペイトウのような色彩の花。
何でしょうね、これは。

草の匂いのする空気を味わいながら、
ゆっくりゆっくり歩きました。

・・・

不思議なもので、聴覚がなくなってしまうかもしれない、
という事態になって、ステレオで音声が聴けるということの
ありがたさをつくづく感じるのです。
耳鳴りがしない、ということのありがたさを
つくづく感じるのです。


私の祖父は、晩年に糖尿病で失明しました。
私の父は、祖父の病気のことや、失明の可能性について、
ずいぶん早い時期から感じていたようで、
特に目の健康については非常にシビアな人でした。

そういう環境で育った私は、おかげで目の健康には
ひときわ神経質で、心配性であるように思います。

目が見えないことにくらべれば、耳が聞こえないことの方が
はるかに小さな犠牲だ、とは思うのです。

ただ、こうなってみると、右耳から聞こえてくる音たちの
なんと輝いていることでしょう。
空気の振動を鼓膜で感じられるなんて、
なんとダイナミックな体験なんでしょう。

見る、聴く、触る、臭う、味わう・・
感覚のうちの一つでも失うことは、
動物にとって本当に大きな痛手ですね。

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