薬を飲んで、安静にすること。
それが今できる唯一の方法。
そういうわけで、今日は朝起きてから、ずっと家にこもっていました。
午後になって、かおるんるんの幼稚園の恒例行事「踊りの夕べ」に
妻も長男ひびきちも出かけてしまったので、家には私一人です。
気分転換に津久野かいわいの散歩にでかけることにしました。
津久野駅の近くを流れている川(石津川?)の、
草ぼうぼうの堤防が目的地の一つです。
上の写真は堤防で見つけたコンペイトウのような色彩の花。
何でしょうね、これは。
草の匂いのする空気を味わいながら、
ゆっくりゆっくり歩きました。
・・・
不思議なもので、聴覚がなくなってしまうかもしれない、
という事態になって、ステレオで音声が聴けるということの
ありがたさをつくづく感じるのです。
耳鳴りがしない、ということのありがたさを
つくづく感じるのです。
私の祖父は、晩年に糖尿病で失明しました。
私の父は、祖父の病気のことや、失明の可能性について、
ずいぶん早い時期から感じていたようで、
特に目の健康については非常にシビアな人でした。
そういう環境で育った私は、おかげで目の健康には
ひときわ神経質で、心配性であるように思います。
目が見えないことにくらべれば、耳が聞こえないことの方が
はるかに小さな犠牲だ、とは思うのです。
ただ、こうなってみると、右耳から聞こえてくる音たちの
なんと輝いていることでしょう。
空気の振動を鼓膜で感じられるなんて、
なんとダイナミックな体験なんでしょう。
見る、聴く、触る、臭う、味わう・・
感覚のうちの一つでも失うことは、
動物にとって本当に大きな痛手ですね。
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